旅する絵描き――パリからの手紙
伊勢英子
Yよ、元気かい。
僕は今パリにいる。
パリのアパルトマンでこれを書いている。
驚かせてすまない。
東京の下宿でもなく旅先のカフェでもない、異国のアパルトマンで手紙を書いているんだからね。
自分だって驚くよ。
前へ前へ歩いていけば、モチーフはいつだって向こうからやって来る、と前に書いたよね。
その僕が今、立ち止まって、しばらくここに住んでみようって気になっているのだから、自分だってどうしていいかわからないくらい、驚いているんだよ。
僕は、すごいモチーフに捕まってしまったらしい。
美しい風景でも流れる雲でもない。
前に描いた枯れたひまわりの群生でもないよ。
窓だ。
何の変哲もない窓なんだ。
縦一メートル×横一・五メートルもない小さな窓だ。
こんなシンプルな窓、華やかなパリでは珍しいよ。
レースのカーテンも鉢植えのベランダもない。
ねえ、想像してみておくれよ。
僕は今パリにいて、カルチエ・ラタンとよばれるパリの中心街のさらにど真ん中を歩いていたんだよ。
東に百メートルも行けば、ノートルダム寺院やパリ警察、裁判所、市庁舎があり、南へ五百メートルも下ればリュクサンブール公園、ソルボンヌ大学。
西にはオルセー美術館、ボザール(国立美術学校)、ピカソのアトリエ跡やドラクロワが住んでいた家などがあって、サン・ジェルマン・デ・プレ教会やサン・ミッシェル広場は冬でも観光客や若者でいっぱいだ。
民族のるつぼみたいに肌の色の違う人たちが働いていて、昨日から一斉に冬の名物のバーゲンが始まったせいか、店やデパートの窓という窓に赤や青や白のSOLDES(特売)50%、30%などの文字が躍っている。
僕を捕らえたのはそんなぎらぎらの窓ではない。
ちょっとうつむいて歩いていれば、目の端にさえ入らないような窓だったんだ。
サン・ミッシェル広場から、たった一本入っただけだというのに、全ての喧騒が消え、まるでそこだけ時代から取り残されて今日まで来てしまったという感じの路地だ。
さっき一匹の黒い犬がひとりで散歩していたから、思わずその「詩のような風景」をスケッチ帳に収穫した。
そのスケッチを同封するよ。
ところで、話を窓に戻すよ。
──窓越しに見えたのは、いや見えたのではない。
僕を呼び止め、足を止めさせたのは、窓ガラスの向こうの本だった。
赤や紺や茶色の革表紙の、異なる大きさの本が、金箔の文字や装飾を施されて輝きながら、その美しい背表紙をガラスの外に向けて立っていたんだ。
辞書のようなもの、文学全集のようなもの、聖書のようなもの、十数冊はあったと思う。
中世の本みたいなのもあった。
そして、その本たちの向こうに机と棚があって、丸めた紙や色とりどりの羊皮が所狭しと押し込められているのが見えた。
机の上に電気スタンドが光の輪を落としていた。
そこに浮き出されるようにして、一人の老人が何かの作業をしていたんだ。
そう、黙々と机の上の物に向かって仕事をしているんだ。
手には糸と針。
何を縫っているんだ?
窓の外の僕なんかに目もくれず、ひたすら手を動かしている。
地味な紺色のセーター姿で、手を動かすたびに耳の上で真っ白い髪が揺れた。
美しいたたずまいだった。
そして老人の周囲には静かな力強さと温かい落ち着いた空気が漂っていた。
老人は本をかがっていたんだ。
眼鏡を掛けているけど、そんなもの必要ないようだった。
束ねた紙の穴に針を通し、規則正しく複雑な回路で手を動かしては次の穴に針を運ぶ。
その様子は、まるで「手で見ている」としか思えない早業だった。
窓のすぐ脇に小さな扉があった。
人一人がやっと通れるくらいのガラス戸で、窓と同じく質素だから郵便配達以外、誰もここが入り口だなんてわからないだろう。
何かメモのようなものがはってある。
僕はのぞいてみた
──「ワタシハ、イカナル商業的本モ買ワナイ、売ラナイ」──
そして、平日は9:30―17:00、水曜日は9:30―12:00、とある。
ここは本に関係する工房なのだ。
この人は本を造っているのだろうか、まさか、このなんでも機械でできる時代に、ITの時代に一冊ずつ手造りで?
それとも本の修復をやっているのだろうか。
もう一度扉の紙片に目を移す。
Relieur-Doreur A.M. とあった。
僕は急いで辞書をめくった。
Relieurは製本屋、造本屋。
Doreurは金箔師、金の型押しで文字や装飾を手作業で造る職人のことだ。
窓ガラスの向こうで光の粒子が揺れた。
老人は仕事の手を止め、鼻眼鏡のまま外を見た。
目が合った。
その目は今の今まで手元の仕事に集中していた目だ。
鋭かった。
だがすぐに、目にいたずらっ子のような表情が広がり、優しいじいさんの顔になった。
僕はどきどきしながら思い切りほほ笑み返した。
窓ガラスの向こうの姿がすっと左へ消えたかと思ったら、さっきの紙片がはってあった扉が開いて、じいさんが出てきた。
「見るか?」
──僕は耳まで真っ赤になったのが自分でもわかった。
でも、じいさんはとても自然なやり方で、僕を扉の中に招き入れてくれたんだ。
紙と羊皮とさまざまな機械と工具と、ほこりでいっぱいの工房に──。
これが、僕とRelieurじいさんの出会いの全てだ。
そして、僕がここにとどまることになった物語の「始まり」だ。
Yよ。
君があきれるくらい、僕はあちこち旅をしてきた。
そして旅先でいろんな人に出会った。
どこの国でもどこの街でも、老人は暇そうか、寂しげか、群れておしゃべりをしていた。
でなければ腹と顎を突き出して大声で演説をしていた。
でも、あの人は、別の空気をもっていた。
そして、あの窓の向こう側にはなんて大きな、僕の知らない世界が広がっていたのだろう。
僕は興奮して寝つけないので、夜中だけどこれを書いている。
あれから──僕が窓に引き寄せられ、おじさん(とても老人とはよべない)が扉を開けてくれてから──仕事場を見せてもらったんだ。
針と糸でかがっていたのはモリエール(一六二二──一六七三)の作品だった。
いったい何百年前の本なのだろう。
机の上には表紙のなくなったもの、糸がほつれて崩れかかった紙の塊、破れたり虫食いやしみでいっぱいの、もう本とはよべないようなもの(そんなものまで、生き返らせるらしい)。
机の上、台という台に、そんな元本が山のように積み上げられていた。
注文してもみんな何か月も待たされるんだって。
表紙の土台になる厚紙の裁断から始まって、背の装飾のためのレリーフの型作り、羊皮なめし、裏布(紙)の選択、カット、羊皮巻き付け、のり付け、プレス、乾燥、金箔押し……聞いただけではこれくらいしか覚え切れなかったけど、Relieurには約六十工程くらいの作業があるんだって。
本のしみを取るには、いったん本を解体し、一見開きごとに薬の入った液体に浸し、乾かし、また浸し……を四回繰り返すんだ。
破れたり欠けてしまった角などは、日本の和紙のような半透明の薄紙で補強する。
何百ページの本の全てをそうやって修復するのだから、気の遠くなるような作業だよ。
表紙用の羊皮はそのままでは硬くて使えない。
特別のへらでこすって柔らかくするんだけど、ほこりとしか思えないような細かい細かい粉状の物がゆっくり革からはがされ、革は薄く柔らかくなっていく。
三十センチ四方をなめすのに立ちっ放しで全身の神経と力を手に集中させること一時間。
話しかけるのもはばかられるすごい形相だった。
革は均等に美しく平らになった。
この作業がいちばん「きつい。」とおじさんは言う。
今ではRelieurも分業になったり、羊皮なめしだけは機械に頼ったりの時代になったけど、おじさんは全て自分の手でやるんだって。
おじさんの手のスケッチ、同封するよ。
職人の手だ。
関節がこぶみたいで、指なんかもう手の甲の側にしなって、ものすごく柔らかいんだ。
ごついのに温かい手だ。
おじさんの鋭いのにあったかいあの目と同じ質のものだ。
おじさんは、今八十歳!! で六十年もこの仕事をしているそうだ。
お父さんもRelieurの職人だった。
何人もの弟子を抱えていて、工房は今のおじさんの仕事場よりずっと大きくて、ノートルダム寺院の前の橋を渡った所に今もその建物(今は別人の住宅となっているが)はあるという。
僕はもっともっとおじさんのこと、Relieurの仕事のことを知りたいと思った。
この、人の心を包み込むような空気はどこからきているのだろう。
おじさんの髪は真っ白だけど、眉毛は黒くて長い。
そのはっきりした眉の下に濃い青緑の瞳が深い情熱と知性をたたえている。
おじさんは話すとき、じっと僕の顔を見る。
その目は好奇心でいっぱいの子供のようにも見えたりする。
僕は自己紹介がうまくできない(フランス語は発音が難しい)。
だから、旅のスケッチ帳を見せたんだ。
言葉は通じなくても描いたときの気持ちや空気は絵から伝わるはずだ。
おじさんの目がまた鋭く光った。
そして、僕の年くらいのとき、おじさんも絵描きになりたかったんだ、と言った。
戦争がおじさんの夢を別の形に変えた。
おじさんはお父さんの工房で働き、その仕事を受け継いだ。
今では自分の息子にも教えながら、外国から何人もの弟子入りがあるほど、パリでは数人しかいない最後の「手仕事」の人となった。
冬のパリは早く暮れる。
五時になったので、おじさんは仕事場を閉め、「ちょっとだけ歩こう。」と言った。
僕たちは時代から取り残されたような路地を抜け、イルミネーションとSOLDESの文字の躍るサン・ミッシェル広場に出た。
前をまっすぐ見て、雑踏を泳ぐように歩く後ろ姿は八十歳の老人とは思えない。
背も僕より高いくらいだ。異国情緒のごった煮みたいなレストランやカフェ(ギリシャ、アラブ、中国、ベトナムなど……)でいっぱいの裏道を幾筋か歩いていくと、突然、質素な小さな教会の前に出た。
サン・ジュリアン・ル・ポーヴル(貧しい聖人ジュリアンという意味か)教会──庭がそのまま境目もなく木々と芝生の公園につながっている。
公園の向こうでノートルダムの鐘が鳴っていた。
イチイやプラタナスの植え込みを圧倒してそびえ立つ一本の古木が夕方の薄明かりの中にシルエットになって立っていた。
「Robinier 1602」年と札がある。
イヌアカシアだ。
幹や枝のこぶや節がおじさんの手を思わせた。
教会の真正面の建物の三階を指しておじさんがつぶやいた。
「父の工房だった所だ。子供の私は毎朝窓からノートルダムを眺め、このサン・ジュリアン教会の前を通って学校に行ったんだよ。」
おじさんはここに一九三七年から一九七二年まで住んでいたんだって。
僕は圧倒されて立ち尽くした。
何十年前の少年が見た風景が、そのままここにあるんだよ。
工房のあった建物も、教会も、イヌアカシアの木も。
ノートルダム寺院は十二世紀から二百年かけて建設され、木は四百年生き続け、おじさんは三代続いてRelieurの仕事をしてきた──僕なんか、なんでもない小さな点みたいだなって、思った。
「あしたも仕事見に来るか?」おじさんの声はかぎりなく優しかった。
「Oui.」教会の前で握手して別れた。
それから僕は急いで安ホテルを探すことにした。
──ああ、夜が明けそうだ。
この続きはまたすぐ書こう。